こんにちは、ゆっくり歴史戦記【まこえもん】chのまこえもんです。
本日、新しい動画を投稿しました。 今回のテーマは、日露戦争における最大の激戦地「旅順攻囲戦・203高地」です。
【ゆっくり解説】なぜ日本軍は機関銃に「精神論」で挑んだのか?世界が震えた203高地の悲劇
「坂の上の雲」などでも有名なこの戦いですが、実際の戦場はドラマのような感動的なものではなく、ただただ「人間が挽肉にされる」地獄絵図でした。
動画では、その凄惨な戦闘の経過を解説しましたが、今回のブログでは、動画の中で語りきれなかった「言葉の意味」や「指揮官の苦悩」について、少し掘り下げて書いてみたいと思います。
1. 「肉弾戦」の語源は、文字通りの「弾丸」だった

今ではスポーツの熱戦などを指して「肉弾戦」という言葉を使いますが、この言葉が生まれたのは、まさにこの日露戦争だと言われています。
当時、世界最強クラスのロシア軍要塞は、コンクリート(ベトン)で固められ、最新兵器である「機関銃」が配備されていました。 これに対し、日本軍にはコンクリートを破壊できる強力な火砲が不足していました。
では、どうやって攻略するのか?
司令部が出した答えはシンプルかつ残酷なものでした。
「弾丸が足りないなら、人間を弾丸としてぶつければいい」
これが「肉弾」の本来の意味です。
比喩でもなんでもなく、生身の人間が鉄条網に突っ込み、その死体を踏み台にして後続が乗り越える。 動画でも触れましたが、まさに「狂気」としか言いようがない戦術が、国家の命令として実行されたのです。
2. 裏目に出たエリート部隊「白襷隊」の悲劇

動画の中盤で登場した「白襷隊(しろたすきたい)」のエピソード。 個人的に、この戦いで最もやりきれない気持ちになるシーンの一つです。
夜襲(夜間の攻撃)を行うために組織されたこの決死隊は、味方同士討ちを防ぐために、軍服の上から「白いさらし」を巻いていました。
日本側の意図としては、暗闇でも味方がどこにいるか分かるようにしたい、というものでした。 しかし、ロシア側の反応は違いました。 暗闇の中で「そこだけ白く浮き上がっている」から、めちゃくちゃ狙いやすいのです。
ロシア軍がサーチライト(探照灯)を照射した瞬間、彼らは闇夜に浮かぶ「絶好の的」となり、次々と撃ち抜かれました。
「味方を識別する」ための工夫が、逆に「敵に居場所を教える」結果になってしまったのです。
精神論や覚悟だけでは、近代兵器の理詰めには勝てない。 その残酷な現実を突きつけられるエピソードです。
3. 息子を「二人とも」失った乃木希典の心中

今回の戦いの指揮を執った乃木希典(のぎ・まれすけ)将軍。 彼はこの旅順攻囲戦の指揮中に、次男である保典(やすすけ)を戦死させています。
実は彼、すでに別の戦いで長男も亡くしており、この203高地の戦いをもって二人の息子を戦争で失ったことになります。
作戦の失敗により、部下を何万人も死なせ、さらに自分の子供たちまでも失う。 その時の彼の心境は、想像を絶するものがあったはずです。
戦後、彼が明治天皇に対して「割腹して詫びたい」と泣きながら語ったという逸話は、単なる責任感からくる言葉ではなく、親としての、そして人間としての限界ギリギリの悲鳴だったのかもしれません。
4. 歴史の「狂気」から何を学ぶか

この203高地の戦いで日本軍が出した死傷者は、約6万人。 小さなハゲ山一つを奪うために、一つの都市の人口に匹敵する血が流れました。
動画の最後でも触れましたが、勝利という結果の裏には、こうした「語られない死体」が山のように積み重なっています。
「勝ったからよかった」ではなく、「なぜそこまで追い込まれたのか?」。 今回の動画が、そんなことを考えるきっかけになれば嬉しいです。
まだ動画を見ていない方は、ぜひハンカチを用意して(あるいは覚悟を決めて)ご覧ください。 感想コメントもお待ちしています!
まこえもん
